坂城町の工業の発展は、東京からの疎開企業が立地し、地域工業の中心となった時期(昭和16~35年代)、外部からの誘致企業の立地と既存企業からのスピン・オフ分離独立)を中心に工業が展開した時期(昭和35~40年代)、業種が多様化するとともに、既存企業の中でハイテク化が進展し、高付加価値化が進行した時期(昭和50~60年代)の3期にわけてとらえることができます。
蚕糸工産業は坂城工業化の前段階だったともいえる
0268-82-3351
坂城町の工業の発展は、東京からの疎開企業が立地し、地域工業の中心となった時期(昭和16~35年代)、外部からの誘致企業の立地と既存企業からのスピン・オフ分離独立)を中心に工業が展開した時期(昭和35~40年代)、業種が多様化するとともに、既存企業の中でハイテク化が進展し、高付加価値化が進行した時期(昭和50~60年代)の3期にわけてとらえることができます。
蚕糸工産業は坂城工業化の前段階だったともいえる
坂城町の工業化は、昭和16年の宮野鑢工場(現㈱アルプスツール)の工場誘致にさかのぼります。続いて、疎開工場が次々に設立。航空機、通信機部品などの軍需生産を行っていました。敗戦後は、多くの工場が家庭金物など「金属加工工業」に転換しました。
昭和22年には工場主を中心に「坂城工友会」を発足。優良工場の視察や技術研究会など地域内交流を活発に行い、行き詰まりかけた金物工業を軌道に乗せるとともに、その後の工業振興に大きな役割を果たしました。それが今日の発展の礎となっています。
また、疎開工場の下請けとして地元企業が発展した時期でもあり、現在の坂城町の代表的な企業の多くがこの時期に創業。中島オールミシン、宮野鑢工場、大崎製作所坂城工場は町内のリード企業として仕事のあっせんや資金援助・技術指導を行い、中小企業の創設に寄与したといわれています。
昭和30年代の工場(㈱柳沢精機製作所)
昭和16年:宮野鑢工場(現 ㈱アルプスツール)【工場誘致】 昭和18年日本発条坂城工場 【疎開工場】 昭和19年 ㈱栗林製作所 昭和20年 大崎製作所坂城工場(現 ㈱長野大崎製作所)【疎開工場】 都筑製作所(現 ㈱都筑製作所)【疎開工場】 中島オールミシン(現 中島オールプリシジョン㈱)【疎開工場】 日置電機(現 日置電機㈱―上田市へ移転)【疎開工場】 昭和21年 柳沢螺子製作所(現 KYB-YS㈱) 昭和22年 日精樹脂製作所(現 日精樹脂工業㈱) 昭和24年 寿製薬(現 寿製薬㈱)昭和32年には工業振興を目的に「工場誘致条例」を制定。優遇措置等により誘致企業の創業や既存工場の業務拡大が進み、大きな効果をもたらしました。
町内の主要企業で技術を身につけた中堅社員たちが、持ち前の自立心と企業家精神をもってスピン・オフ企業を創業。独立元企業からの支援や交流も盛んで、そこに工場誘致条例による誘致企業も加わり、新規企業が成長しました。この時期の年間創業企業数は10社ほどにのぼりました。
また、日本の自動車産業の成長に伴い、自動車部品工業が坂城町の工業のけん引力となって発展しました。昭和40年代半ば以降には、プラスチック工業や電気機械工業も盛んになり、多様な工業を展開。町内に安定した雇用をもたらすとともに、昭和43年には東北6県への求人活動が行われました。しかし、昭和48年の第一次石油危機を契機に、質的な転換を迫られるようになりました。
工業活動の拠点として昭和49年2月商工会館が新築、
62年2月には増築された
この時期には、プラスチック、電気機器、精密機械関連へと進出する企業が増え、時代のニーズに沿った付加価値の高い業種への事業転換が進みました。また、FA(Factory Automation:生産工程自動化システム)などによる「省力化」が推進・強化され、既存産業の高付加価値化が進行。エレクトロニクス、メカトロニクス化へと積極的に対応しました。
昭和55年には県認定高等職業訓練校として「中小企業能力開発学院」を設立。経営事務から生産工学、パソコンやNC(数値制御)工作機械利用技術、工場管理など、企業の経営者や従業員が高度技術を習得する場として現在も活用されています。